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んかい6500」をご覧になってお分かりと思うが、海底を観察できる窓は一番前それも前方しか見ることができない配置となっている。従って潜水船はきょうのような斜面を登るときは、必ず深い所から浅い所へしか走れないこととなる。この日のコースももちろんそのルールどおりだった。海底の見事なカサゴを見ながら潮に押されぎみに斜.面を登っていた「しんかい2000」は、徐々にそのスピードが速くなってきた。窓からの監視役だった私は、片田さんに「もう少しスピードを落としてください」とお願いした。
「しんかい2000」は「しんかい6500」と違い、操縦桿(我々はこれをジョイスティックと呼ぶを窓から監視している者が操作するのではなく、上部のコンソールに座るもう1人のパイロットに指示を送り操縦する。従って通常の船舶のように「面舵30度」「取り舵10度」とが「前進2速、3速」というように、そのときの状態にあった舵角と速度を口頭で伝えるのだ。そのため、窓から外を見ている者には潜水船の操縦桿がこのときどの位置にあるか分がらない。すると私のオーダーに井田さんから、「今、主推進機(メインプロペラ)は同していないよ」と言う答えが帰ってきた。
「しんかい2000」は強い潮流に乗り全く推進力を使わずにカサゴの斜面を登っていたのだ。そのうちスピードがどんどん速くなってきたのを感じる間もなく、窓から見えていた海底が急に見えなくなった。それと同時に「しんかい2000」は前下がりに傾斜したので、私はこの山を登り切り後部が斜面に当たったのかと思い井田さんにそう伝えると、「おい深度計を見ろよ、もう水深100m台まで上がってしまったよ」という意外な答えが帰ってきた。水深300mの海底からほんの一瞬、2秒か3秒で200m位吹き上げられてしまったのだ。井出さんの「もうやめ、バラストを捨てるぞ」の一言まで、私はこの一瞬の出来事を理解できず呆然としていた。
「しんかい2000」は母船の「なつしま」に連絡後そのまま浮上し、きょうの潜航は終了になってしまった。揚収後、母船「なつしま」の周りの海面を見ると、海底から潮が船の周り半径数百mの範囲に丸く沸き上がっているのが確認できた。黒朝がこの小高い海山に当たり上昇流となっていたのだろう。その時は一瞬の出来事だったが、あとで考えると自然の力、特に黒潮の凄まじいエネルギーを見せつけられた怖い潜航だった。船乗りたちは陸上のことを「おか」という、これはまさに自分たちの住んでいる場所、海面を基準としているからだ。たまに港に入り、「おか」に上がると個人差はあるが、私の場合まず近くの居酒屋かバーに入る。これは、日本いや外国の港でも同じである。しかし、行動は同じでも歩いて居酒屋のある盛り場に行ける印と、バスがあればまだましだがタクシーを電話で呼びつけないと町までいけない所がある。私の基準では前者を港町、後者を普通の町に分けている。港町はやはり港から町が発達しているため、船でやってきた者には至極便利がいいようになっている。日本で私の好きな港町は、北から行くと小樽、函館、太平洋岸に南下し清水、神戸、九州に渡り長崎、鹿児島というところか。もちろん沖縄や小笠原の父島、奄美大島など島は、港が玄関だがら言うまでもなく私の基準にあっている。
ここで、陸上のみなさんが碓町と考える横浜が私の選がら漏れているのに気づいたかと思うが、それは今や横浜が船乗りのための港町ではなくなっているような気がするからだ。横浜はアベックや家族連れで散歩するためのイメージが先行する港町で、もちろん昔の横浜をよくは知らないが、外国船が沖合で岸壁の空くのを先を争いながら待っているような活気を今の横浜港に私は感じられない。高度に機械化されたコンテナヤードはあるが、もはや最新の工場のような趣で、その岸壁に立って海を見つめはるが彼方の外国の地に思いをはせていると、ビルのようなフォークリフトにクラクションを鳴らされるのが落ちだ。そして神戸の港も今や徐々に横浜化していくようで寂しいかぎりである。
1994年、MODE'94と銘打ち当センターの「しんかい6500」を搭載した「よこすか」が、はるか大西洋と東太平洋まで日本の調査船としては初めての本格的な調査に赴いた。この時、東太平洋海膨の調査の途中、補給のため立ち寄った南米チリのバルパライソは、まさに私が思い描いていたような港町だった。岸壁からちょっと歩くとあります、あります、シーフードレストランや船具屋、船乗り相手のみやげ物屋、そしてちょっと路地に入ると怪しげなバーが……。この中で、船の若い衆に連れていってもらったパブが私には非常に印象的だった。
この店は元ドイツ人船乗りのマスターがやっている「ハンブルク」という名の店で、店内の壁は所狭しと世界中の船のプレートや救命浮環(船名の入った浮輪)が飾られ何とも嬉しくなる雰囲気だった。何度かの来店でマスターと仲良くなっていた「しんかい6500」オペレーションチームの吉梅整備士は、お土産に「しんかい6500」のマクカップと芸術家である彼が丹精込め制作した影絵をプレゼントしたら、早速壁に飾ってくれた。これで我

 

 

 

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